楽しかった。
もう疲れた
お前の機嫌を損ねないように、その一心で生きることに、もう疲れた。
疲れ切った。
「もうたくさんだ」はお前の常套句だけど、こっちのセリフなんだよ。
ありがたかったこと
私の子育てを決して批判しなかった。子育てはいつもほめてくれた。
子供の性別で(男を産めとか、周囲の他人には言われたが)とやかく言わなかった。
そして、気が合わない人間とは無理して合わせなくていいと身をもって教えてくれた。
義父母にありがたいと思う事。
忘れたふり
「母親失格」
「子どもなんか作らなきゃよかった」
言ったあなたは忘れてるだろうが、私は絶対に忘れないからな。
死んでも許さない。
会社=社長
もう既に言い尽くされているだろうか。
「会社の規模(大きさ)=社長の器(大きさ)」とずっと思ってきた。
だからね、「会社が大きくならねえ」のは「あなたの器がそれだけのことだから」これに尽きる。あなたのような全て掌握したいタイプの社長の会社は、あなた自身の器のサイズ止まりなのだ。
つまり会社経営とは「儲かる仕事しかしねえ」「単価で仕事を決める」とか目先の金の話ではないのだよ。
あなたに絶対的に足りないのは、己の器の小ささの自覚、と、心掛けなのだ。
死んでも分からないだろうがね。
覚悟
藍子と過ごした時間は、常に「終わりがある」と覚悟していた。手がかかる赤ちゃんの時間も、幼稚園や小学校から帰る藍子に合わせて仕事を慌ただしく切り上げたり、勝手にリモート環境を構築して深夜に仕事をしたり、遠い中学高校の送迎、お弁当作り…
いつかは終わりがあるから大切な時間だった。楽しかったよ。
いつも隣にいてニコニコして
そんな時間さえも、終わりに近づいているかもしれないね。
親業
薫との親子関係では、親としての無力さを徹底的に思い知らされた。
とにかく私は嫌われているのだ、と本当に悲しかった。普通に笑い合って一緒に過ごしたいだけなのに、と毎日毎日思っていた。
でも全て私が悪かったのだ。
薫は、私に親としてしてはならないことを悉く指摘した、全力で、反抗という態度で。
親は、こどもであっても一個の人間だということ、別人格だということを本当の意味で理解しなければならない。
親の自覚と驕りと
私は萌に、自分のことを「かよ」と呼ばせていた。これは結婚前から今でも、のぶの私の呼び名。
今でも萌だけは私を「おかあさん」と呼べない。かと言って「かよ」にも戻れない。
親の自覚がないばっかりに、ごめんなさい。
そのくせ、あなたには「私の言うとおりにすれば間違いない」と、私に従わせようとした驕りがあった。そのうえ、その通りにしない、ならないと私は怒り押しつけ強制した。
親なんて、後ろから見守ってついていくくらいがちょうどいい。